最近、ふと中学時代の強烈先生を思い出したので書いてみます。
この先生は好奇心が半端なく、学校では常識破りな行動連発でした。
中学の先生でありながら、課外活動にも一生懸命で地元のテレビに出演するほど。
NHKに出演している先生を見た時は「この先生ってめっちゃすごいんじゃん!」と驚きました・・・
最終的には中学の先生から大学教授に転身。
すご・・・
こんな大出世なかなか聞きませんよね・・・
先生の中学での常識破りなエピソードをご紹介します。
- 生徒の将来を思い「社会権」を熱心に教えてくれた
- 帰宅部化していた部活動を魅力あるものに変革
- 夏休みの宿題は自分で作る
- 音楽の先生でもないのに、合唱コンクールの各パートの並ぶ順番を「無駄を省くため」に変えようとした
一通り挙げてみると、ドラマにありそうなエピソード満載ですね。
各エピソードをご紹介しますね。
生徒の将来を思い「社会権」を熱心に教えてくれた
生徒の将来を思い、授業で「社会権」が出てきた時は、社会権の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」を熱心に教えてくれました。
「将来生活に困ったら行政に行こう。そしたら社会権で保障されている通りの保障が受けられるよ」と・・・
生徒に何度も復唱させていたので、あの学年はみんな社会権を覚えていることでしょう。
最高かよ。
帰宅部化していた部活動を魅力あるものに変革
先生は、当時帰宅部化していた部活を魅力あるものに変革しました。
帰宅部化していた部活の顧問に就任すると、学校近くの畑を近所の方から借りて農業を始めます。
そしてその部員はキラキラしながら農業をやるようになるのです。
「あの部活がこんなにも変わるものか」
生徒は驚きを隠せませんでした。
先生が授業中に、活動をキラキラした目で話す姿をみんな羨ましそうに聞いていました。
自由・自主性があった
この部活には、サークルや研究室のような「自由、主体性」があったのだと思います。
プロデュース力にも長けていました
先生はプロデュース力にも長けていました。
そういえば、授業中に「僕はアイディアを出すのが得意だから将来困ったら僕の所にきたら色々知恵を貸すよ」と言っていました。
今アイディア貸してほしいな笑
先生の尊敬すべき所は、アイディアを出すだけでなくそれを実現することができることです。
アイディアを出せる人はいくらでもいますが、それを行動に移す人は少数ですからね。
夏休みの宿題は自分で作る
先生は社会の先生だったのですが、夏休みの歴史の宿題に常識破りなものを出します。
「自分で重要だと思うワードを考え、それの暗記カードをつくる」というものです。
暗記カードとは、表に「大化の改新」などのワードを書き、裏に「そのワードの説明」を記載するアレです。
与えるのではなく生徒たちに考えさせる
これまで僕達生徒は与えられることに慣れていて、「先生がやれ」といったものをただこなせばOKでした。
これまでの与えられた宿題はキツそうに見えますが実はこっちのほうが楽なのです。
自分ではなにも考えずに、命令的に強制力のある課題をこなせばいいだけなので・・・
しかし、先生が出したこの課題は、「どんなワードが大切なのか?」、「そのワードの説明に何を書けばいいのか?」という生徒の思考力が問われるものです。
生徒は初めて「産みの苦しみ」を経験
生徒は初めて「産みの苦しみ」「思考する苦しみ」を経験しました。
もはや大学の研究のようです。
社会に出てから必要な力が凝縮されていた
先生は社会に出てからは、
「与えられたものをこなす力(昭和の製造業中心の社会で求められた力)」よりも
「自分で課題をみつけ課題を克服する力(現代社会で求められる力。)」が大事であるとことを知っていたのだと思います。
(だからこそ自分は社外活動にも力を入れていたのかと・・・)
学生時代は優等生だったが、社会に出てから使いものにならない、学生時代の不良よりも仕事ができないという現実があります。
(僕のことです。)
これは映画鈴木先生で示唆されているのでこの映画をぜひ見て欲しいです。
音楽の先生でもないのに、合唱コンクールの各パートの並ぶ順番を「無駄を省くため」に変えようとした
次はなかなかの強烈エピソードです。
先生は、音楽の先生でもないのに、合唱コンクールの各パートの並ぶ順番を「無駄を省くため」に変えようとしました。
合唱での並びはステージ向かって、左から女性パート(高音)、男性パート(低音)という順番になります。
しかし先生は、ステージでこう並んでしまうとステージ袖からステージに並ぶ際に時間がロスしてしまうため、この並びを変えちゃおうと言い出します。
ちなみに、先生は音楽の先生でなく社会科の先生です。
(おそらく学生時代に音楽をバリバリやっていたということはないと思います。)
音楽の先生からストップがかかる
この意見に対して、音楽の先生が大声でストップをかけました。
こんな並び音楽界では考えられない。
こんな常識破りはやめてくれと。
結局、音楽の先生の言う通り、並ぶ順はこれまでのものになりました・・・
このエピソードからわかるように、先生は常に常識破りなのです。
いわゆるイノベーションです。
先生はイノベーターでもあったのです。
常識を疑った結果
これは「無駄を省きたい」「効率重視」という考え方があったのかと思いますが、それだけでなく「常識を疑う」という大切な視点を示唆してくれていたのかもしれません。
今思うと僕はこの考えた方に賛同できます。
当時は、「え、マジか・・・」と思いましたが、社会で活躍する人間になるためには「常識を疑う」ということはマスト能力だと思っています。
最後に
ここまでで大切なことが、先生は生徒の「主体性」「好奇心」などの「学校では教えてくれないが社会に出てから必要な能力」を引き出していたということです。
日本では、生徒は「教えてもらう立場」であり、「受け身」になりがちです。
先生はおそらく、そんなのでは社会に出てから通用しなくなることを知っていました。
そして常識を疑うこと。
これなしではこれからの情報化社会、新しいものが次々とコモディティ化していく世界を乗り切れないと考えていたのでしょう。
(おそらくここまで考えていなかったでしょうが、僕はこう考えるよにします。)
僕の中学時代を総括するならこんなことが言えます。
「社会で役に立つ力はすべて中学の社会の先生が教えてくれた」
先生ありがとうございました!